自己紹介①(人力車時代~)
自己紹介をしていなかったので、きっと超大作編になると思うのですがシリーズに分けて自己紹介したいと思います。
嘉門のオーナー兼うなぎ職人の古瀬 要(ふるせ かなめ)です。現在38歳。出身は岐阜市。
今から8年ほど前に湘南茅ケ崎から郡上八幡に移住してきました。もともとは岐阜の出身ですが、22歳頃に神奈川の鎌倉に人力車を引っ張りに岐阜を出ました。実は僕は根っからの料理人ではなく、全く畑違いの人力車を引っ張っていました。人力車の仕事はとても魅力が詰まっていて、仕事の楽しさや、大変さ、悔しさ等々、人力車を通して学ぶことがほんとうに多かったです。
今でも人力車時代の夢をよく見ます。人力車の仕事に出会ってなかったら、仕事に真剣に向き合うこともなかったと思うし、僕の人生の中で人力車の仕事に出会えたことは本当にファインプレーだと思っています。しかし楽しい人力車の仕事でしたが、何となく昔から料理人になりたいと考えていました。きっと僕の父親が元料理人なのですが、僕が小さい頃に色々と美味しいご飯を作ってくれる姿を見ていたことも影響があるのだと思います。
そこで、25歳くらいの時にそろそろ料理の世界に進もうと思い一念発起して、料理の世界に飛び込みました。当時の僕の中の判断基準は『かっこいいか?』というのが判断基準だったので、迷わずうなぎの世界に飛び込みました。とはならず、イタリアンの世界に飛び込みました。イタリアンシェフって名前もかっこいいし、パスタやピザを作れるなんてかっこいい!!って感じで他の料理のジャンルもあるのに、ましてや『うなぎ』の『う』の字もまったく浮かばずに、イタリアンの世界に足を踏み入れました。
当時はただ『かっこいい』だけで他には目もくれずがむしゃらに突っ走って、イタリアンのお店を開業したいと思っていたくらいです。若いから無理も出来るし、さらに今の時代なら完璧アウトなパワハラ祭りのイケイケオーナーだったので、あれをやれ。これをやれ。でどんどん任されて、半年過ぎたころには前菜も、パスタもピザもドルチェもカフェもすべてやらせてもらいました。やりがいがあるけどその反面、仕込みから合わせたら(一人で仕込みしていました。)膨大な量に、膨大な勤務時間で、本当に毎日がしんどくて、希望に満ち溢れてイタリアンの世界に入ったのに、どんどんその憧れは消えて一日一日をやり過ごすような感覚でした。でも、仕事が終わって最終電車に乗って、駅から自宅までの道のりで、『絶対負けん。いつか絶対自分の店を持つぞー』と空を見ながらつぶやいていたのをよく覚えています。
振り返っても、イタリアンのお店で働いている時が人生で一番しんどかったかな。でも、若い時の苦労は買ってでもしろと言われますが、若くて体力、気力があるから乗り越えることができたと思うし、若い時ではないと苦労を乗り越えれないんじゃないかと思います。『お前はほんとうに店できるんか?やりたいんか?』と当時の僕は、神様に試されてたのではないかと思います。
入ってすぐに辞めたいと思うくらいでしたが、人力車の上司とも男の約束したし、当時の自分との約束もあって、入社した時に決めていた期限の2年間本当にガムシャラに働きました。
仕事以外では、人力車時代に付き合い始めた彼女、今の嫁さんになるのですが、イタリアンのお店に入社してすぐに結婚をしました。当時は26歳でした。
続く…